EXPE INTERVIEW LONG SET VOL.2

Question = K.Yamaguchi and Friends
Answer = Yoshitake EXPE

 

Q:では現在に繋がるような活動が本格化したのはいつ頃になるのでしょうか?

 

A:とにかく音楽に夢中で、大学卒業しても就職する気になれずバイトしながらライブ活動を続けました。

今もそうなんですが、自分はミュージシャンだ、とかプロでやっていくぞ、みたいな野望がないながら、自分なりの作曲ができたので、なんとなくライブハウスで活動してまして。そこではチケットノルマとかがあって活動を続けるのって意外と大変なんですよね。
日本のライブハウスのシステムは色々と問題が多いと思います。
 
当時の僕は、黒人になりたいって位にファンクに傾倒していて、運よく黒人ミュージシャンたちとバンドを結成することになったんです。
90年代、外人バーやクラブが賑わっていて、黒人ミュージシャンしか演奏しない箱もあって、そういう所で演奏するようになると、チケットノルマもなくギャラももらえてお酒や食事も振舞われて、バンド側が呼ばなくてもお客さんも常にいっぱいで。バブルでしたね。
 
外人バーは基本カバー曲が原則だったのですが、僕のバンドはカバー曲って嘘をついて、ほとんどオリジナル曲をやってましたね。
すぐに店にもバレたけど、お客さんが店に入りきれない位になって黙認されて。

 

 

Q:すごいエピソードですね。
なんて言うバンド名だったのですか?

 

A:COLOURFASTと言う、黒人2名日本人2名のバンドで、
ドラマーは松本俊一と言うタワーオブパワーのデビッドガリバルディを崇拝していた男で、ミネアポリス出身のBobby Nunnと言うベーシストが加わって、それからニューヨーカーのJeff Smithがシンガーというかラッパーのようなスタイルで加わったんですね。
シンガーの彼はその後、キングオパールと名乗り、ソウルクルセイダーズというJ-POPでデビューしてテレビ番組に出たりしてましたね。

 

 

Q:そのバンドはどういう感じだったのですか?カバー曲ってどんなものをやっていたのですか?

 

A:ファンクスタイルではありましたが、ドラム、ベース、ギターにラップの小編成だったのでロック色が強くて、レッドホットチリペッパーズとかフィッシュボーンのような当時ミクスチャーと呼ばれたバンドに近かったんだと思います。
僕自身はその手のバンドよりもファンカデリックを意識していたのですけど。
 
カバー曲はモータウンの曲やジェームスブラウン、スライ&ファミリーストーン、ジミ・ヘンドリックス、クール&ザギャングなど、原曲とは全然違う形にしてやってましたね。
そういえば時代的に流行っていたのもあって、ブランニューヘヴィーズの曲もやってましたね。

 

 

Q:ファンクバンドでの活動後はどのように活動を展開していったのですか?

 

A:そのバンドでオリジナル曲をやってたら、ある日ライブを見に来てたもっとプロフェッショナルの黒人ミュージシャンからスカウトがあったのです。
 
当時の関西には70~80年代に活躍してた黒人ミュージシャンが沢山住んでいて、例えばアースウィンド&ファイアーのギタリストのジョニーさん、マイケルジャクソンやクインシージョーンズのベースのルイスジョンソンもいたり、あのヘッドハンターズのベースのポールジャクソンがいてたり、、90年代の日本の外人系ライブハウスが実はすごかった。
 
そんな中にホイットニーヒューストンやテンプテーションズのツアードラマーをしていたドナルドと、ジャネットジャクソンやルーサーバンドロスのベースをしていたコズモの2人にスカウトされて、黒人が演奏する店の仕事に無理やり入れられたんです。
ソウルやR&Bの有名な曲のカバーバンドなんですが、ベルサーチのスーツもらって着させられて。笑

 

 

Q:物凄いメンバーですね。このバンドはオリジナル曲ではなく仕事としてのカバーバンドなんですよね。

 

A:彼らは子供の時から黒人音楽を演奏しているので、どんな曲でも即座に弾きながら歌うことができるんです。
急に彼らのギターリストが国に帰るということでピンチヒッターとして呼ばれたのですが、そんな芸当ができるわけがなくて焦りましたね。
 
それで自分ができる曲ややりたい曲を中心に合わせてもらいましたが、リクエストが入るので知らない曲をいきなり本番で演奏しなきゃならない環境で、それが一晩で3~4ステージ。
 
お客からは黒人クラブになんで日本人が入ってんだ?!みたいに逆差別されたりしながら、慣れなくて毎日かなり大変でしたが、演奏が終わるとお客さんやお店の人にも気に入って認めてくれて、何とかこなせましたが、ものすごく修行になりました。

 

 

Q:ソウルやR&Bというと、どんな曲を演奏していたのですか?

 

A:仕事だったので割と有名な曲ばかりで、スティービーワンダーのisnt she lovelyや迷信、マーヴィンゲイのwhats goin onとか、アースウィンド&ファイアーやモータウン、コモドアーズとかね。当時流行ってたメアリーJブライジの曲とかボビーコールドウェルのサンプルネタとかもやったなあ、、
僕の選曲ではアイズレブラザーズとかオハイオプレイヤーズやヒートウェイブなどのファンク路線で、ソウルバーなのに大好きだったファンカデリックとかも強引にやらせてもらってましたね。

 

 

Q:そのバンドのライブも聴いてみたかったですね。
一流のミュージシャンの中でひたすら音楽に向き合う日々を送った時期が、今の演奏スタイルにも深い影響を及ぼしたんじゃないですか?

 

A:そうですね。
彼らは80年代のアメリカで活躍したミュージシャンなので、黒人音楽のマナーというか流儀みたいなものを現場で追体験できたのはすごく成長の糧になったと思います。
ファンクのグルーヴについても、体感的に得れたものもあったし。
とにかく彼らの生き方や考え方までも影響されたり、意図的に吸収したりして、破天荒になったりもしましたよね。笑
 
彼らとの活動経験によって、彼らの民族音楽の伝授みたいな感じで、実際に自分にインストールされた影響は大きいですね。
彼らに限らず、本場のマスタークラスのミュージシャンと演奏するとインストールのような事が実際起こるんですよ。
ブラジルのマルコス・スザーノとのコンタクトもすごい体験だった。

 

Q:彼らの何かが自分にインストールされる、ということですか?

 

A:そうですね、伝授される感じというのかな、それ以前の感覚とは変わるんです。目覚めると言うのか。

コンサートやライブに行って特別な音楽体験をしても、一緒に演奏しなくてもこういう事は起きますね。
言葉にするのが難しいのですが。

 

A:なるほど、音で伝授とは、とても興味深い話ですね。

つづく

 

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